錦です。
今回は、Apple M1搭載Macが出た後のラップトップ市場がどうなるのか考察します。
Apple M1はARMベースのSoCとしては珍しくパソコンであるMacに搭載されるSoCになります。ただこの取組は世界で初めてというわけではなく、ARM SoC搭載パソコン自体は数年前から存在しています。Microsoft Surface Pro Xや、Samsung Galaxy Bookがそれに当たりますが、すでにラップトップ市場の中にARM SoC搭載パソコンは出回っています。ただ、Macと違って、OSがWindowsという部分でユーザーが増えづらいという側面を持っています。
Intel CPUやAMD APUと比べて、QualcommやAppleのSoCというのは、ユーザーから見ると得られる利点はかなり多いです。例えば、電力消費量。QualcommもAppleも自社のSoCのTDPを公開していないので、正確に比べることはできませんが、そもそもCPUもGPUもスマートフォンやタブレットといった、ラップトップと比べてバッテリーの制約が厳しいデバイス向けに開発されていたこともあり、電力消費はかなり小さいはずです。電力消費が小さいということは、発熱量も少なく、最終的にそれがユーザーに対してバッテリー駆動時間の向上や、発熱量が小さくなったことにより冷却機構が簡易化されて、デバイスの軽量化という形で還元されます。冷却機構の簡易化は、コスト削減にもつながるので、デバイスのメーカーからしても助かる部分はあるはずです。かつ、各種コントローラもSoCに含まれている場合が多いので、一部の半導体をなくすことができるのもメーカーとしては嬉しいかもしれません。その上、Apple M1のベンチマークを見ていただければ分かる通り性能も申し分なく、シングル性能ではARMネイティブ動作であれば、Intelの最高峰であるCore i9-10900Kに勝るどころか、現状、世界で最も性能がいいRyzen 9 5950Xと同等の性能かそれ以上の性能を持っています。マルチスコアも申し分なく、1世代前になりますが、ラップトップ向けの最高峰 i9-9980HKに勝る性能をもつというモンスター級の性能を持っています。
このように、ARM SoCをデバイスに採用することにより、ハードウェア的には、ユーザーもメーカーも大きな利点を得ることができます。しかし、前述の通り、シェアはそれほど増えてはいません。これにはソフトウェアという部分で大きな問題があるためです。すでに多く知られている通り、IntelやAMDのx86系統のCPU向けに開発されたソフトウェアは、AppleやQualcommのARM SoCと互換性がありません。つまり、ARM SoCを採用するということは、多くのソフトウェアとの互換性を犠牲にする必要があります。ARM SoC搭載パソコンという概念自体はかなり前からありますが、製品が登場したのが最近、かなり限定的な展開になったため、ソフトウェアの対応が追いついていないというのが現状です。ARM版Windows 10には、x86対応のソフトウェアをARM SoCシステム上で動作させる事ができるエミュレータ機能がありますが、現状、テスト版では64bitに対応するものの、安定版は32bitにしか対応していないなどの障壁が目立ちます。
Windowsでは、このソフトウェアの対応が進まない問題が起こる一方、Macでは事情が違います。Macでは、ARM SoCにすることで、Windows以上にユーザーとAppleにメリットがあります。ユーザー側のメリットは、先程あげたもの以外に、iPhoneやiPad向けのソフトウェアが動作するというものがあります。現在の市場において、モバイルとパソコン両方にある程度の規模があるプラットフォームを持っているのはAppleだけです。かつ、モバイル市場では、世界最大級のアプリ市場があり、数億のアプリが存在しています。それらがMacでも使えるようになれば、ユーザーとしても嬉しいことになりますが、iPhoneアプリ開発者の中にはMacに進出したいという開発者も一定数いるため、アプリ開発としても嬉しい機会になります。そして、Macはその特徴からWindowsのようにアプリのARM SoCへの対応が進まないという問題はおおかた発生しないと考えられます。理由はOSの特徴。Windowsは互換性があればどんなシステムにも導入できますが、macOSはMacにしか導入できません。つまり、Mac向けアプリを開発する開発者は、macOSの動向も掴む必要がありますが、Mac自体の動向も捉える必要があります。そして、AppleはMacを現在のIntelベースから独自のARM SoCであるApple Siliconベースに完全に移行すると発表しました。ここでARM SoCに対応しないなら、世界で一定数いるMacファンのユーザーを失うことになります。Windowsと比べて有料アプリが多いMac上では、このユーザーを失うことは開発者として痛手になること間違いなしで、対応はほぼ必須となるでしょう。確かに、x86ベースのアプリを動的にコード変換してくれるRosetta 2がありますが、いつまでサポートが続くかはわかりません。MacがPowerPCからx86へ移行するときにもエミュレータとしてRosettaがありましたが、2005年4月に導入されたあと、4年後に規模が縮小し、6年後のアップデートで正式に廃止されました。つまり永遠にRosetta 2環境が使えるということではなく、Appleが移行期間とした2年間は少なくともサポートされるでしょうが、その後使えたとして2025年やそれくらいにはRosetta 2環境も廃止されていくことでしょう。
さて、本題に戻ります。AppleがIntelからApple M1に移行することに成功するのは確定事項です。では、これをみてMicrosoftとQualcommはどう思うでしょうか。少なくとも、QualcommはWindowsラップトップ市場に進出したい、あわよくばデスクトップでもIntelとAMDのシェアを奪い取りたいと考えているでしょう。Microsoftとしても、Qualcommと協力したとはいえ、自社のSoCを開発したのですから、このSoCの活躍できる範囲を広げたいでしょう。そしてデバイスメーカーも、軽量化・コスト削減などというメリットからARMに移行したいと考える企業も少なからずいるでしょう。ハードウェアメーカーにとって、開発という部分を見れば、x86よりもARMのほうが期待できる性能も、費用対効果も上なので、できれば移行したいはずです。しかし、ソフトとの互換性問題というのはやはり深刻で、SamsungがGalaxy Bookの新型モデルでSnapdragonからIntel Lakefieldに戻したのは、対応ソフトが圧倒的に少なくなってしまったことに不満を持つユーザーからの要望という部分も多いでしょう。ただ、これからは事情が変わります。Appleのアーキテクチャの移行自体は、Appleに対する大きな利益をもたらします。それにとどまらず、ソフトウェアメーカーにARM移植の機会を与えることになりました。すべての開発者がそうとは言いませんが、一部の開発者はARM対応をWindowsとMacで並行して行う可能性があります。前述の通り、Macがアーキテクチャを移行することは、macOSプラットフォーム上でビジネスを行う開発者にとって、ARM移植の機会になりますので、Mac/Win両方でビジネスを行う、あるいはソフトを提供している開発者からすれば、Win/Mac並行してARM移植を進めたほうが楽でしょう。このように、AppleのARMへの移行は、Macアプリの開発者のみでなく、Windows向けにも開発を行う開発者に対していい機会を与えることになりました。Appleがこれを予測していたのかどうかでいうと、微妙なところですが、今回の移行はApple自身も利益を得ることができましたが、長期的に見ればQualcommやMicrosoftも利益を得ることができる可能性があります。Apple Silicon Macの登場が「Macの歴史が変わった」ではなく「パソコンの歴史が変わった」といわれる理由がここにある気がします。